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鳳凰招来/後編/小説/蒼龍苦界





  鳳 凰 招 来 後編







 上背の高い女が映画館の前を横切る。
 歌舞伎町にも欧州の女を扱う店は何件かある。ロシア、ベラルーシ、ブルガリアなど、主に東ヨーロッパから稼ぎに来ている女達。
 ヴィオは新宿通りの雑踏の中でも際立った。
 行き交う人々よりも突き出た頭。艶やかなブロンド。サングラスもきまり過ぎて、逆に隠された目がどんな造型なのかを知りたくなる。発散される気品も血統が故。余談だが、ヘップバーンが、『ローマの休日』で王妃を演じきれたのも、貴族の血が流れていたからだと言われている。
 少しずつ歩く速度を上げた。
 先きほどから、
 ー尾行されている....、
 ようだ。
 身を潜めてまだ数日と経っていない。
 だが、動けばどんな痕跡でも嗅ぎ分けて、情報を集めて追いかけてくるのがエージェント。
 コマ劇場の広場から、アメリカンクリスタルの前を通って、裏手、裏手へと、辻を歩く。真っ昼間から出没するヘルスのキャッチと、厚化粧をしたティーンエンジャー達。ヨーロッパ中の悪童が集うフランクフルトの傾城街と同じですえた汚臭が立ちこめる。
 ラブホテルの裏口から入って最上階の部屋に駆け込んだ。
 1泊25000円。この辺りのホテルにしても高い方。
 ベットに腰掛けて風間が少年の相手をしていた。
 話題は、『忠臣蔵』や、『サムライ』である。嫉妬するくらいに懐いている。少年は話をせがんだし、風間も読書家で司馬遼太郎の他、時代小説で得た知識を語って聞かせていた。
 『お帰り。スシ食べに行かないか、明日。築地か、銀座で。それとも蕎麦にするかい。育ち盛りだぜ、この坊やだって』
 『そうですね』
 『決まりだな』
 食べさせているのはコンビニのレトルトばかりだ。
 ヴィオは追跡が迫っているのを伏せた。
 脅えさせるのは酷。
 明くる日、琴乃のBMWで銀座に向かった。セキュリティも考えて個室のある店を選んだ。風間が女を口説くのに使う店。小樽で修行した板前が付っきりで握ってくれる。四海捲きと云うカラフルな膳で目を楽しませたり、本場の握りを堪能させたりと、少年は終止満面の笑みを浮かべていた。
 琴乃は、ぱく、ぱく、とマグロばかりを食べ、和季は冷酒ばかり呑んでいる。
 帰りに上野に立ち寄り、串に刺さったパイナップルを頬張る。5人で適当に歩き回った。駅の近くにある山城屋、(オモチャ屋)に入ったが、日本のキャラクターグッズなど分かる筈も無く、近くの刀剣博物館に足を伸ばして、そこではしゃぐ少年の姿に複雑な心境の風間であった。
 『坊やは、少し変わってるな。普通の子供じゃない』
 ヴィオは咽から素性がでかかった。
 そこで、はじめて、この小男を頼りにしている自分に気付いた。
 病的にこけた頬に薄ら禿げ上がった額。四十絡みの冴えない面貌。身につけているスーツも安っぽいし、腕時計さえしない。身だしなみには無頓着だ。
 なのに、銀座の高級寿司屋に出入りして、多くの手下を巧みに操り、即通訳になれる程の英語を話す。
 『手に入ったの、チャカ。新宿では使わないでくれよ、警察が入るとマズい。オレ達にもね、協定みたいのがあるの。アンタらも守れなくなる』
 ヴィオは静かに頷いた。
 追跡の事を話し掛けたが、琴乃が車をまわしたので、帰路につく。
 不忍通りから白山通りに出て巣鴨方面に向かう。巣鴨駅の交差点の信号にカウンターがついているのを発見して琴乃がはしゃぎ出した。
 『おまえ、この道遠回りじゃないか』
 『いいでしょう』
 助手席のヴィオが苦笑した。その時、和季が、
 『後ろのバンが、ずっと着いて来てます』
 風間はミラーで背後を確認した。
 黒いトヨタのバンが、なるほどぴったりと着いて来ている。
 『スピードあげろ』
 『前見てよ。渋滞してんじゃん』
 不安げな表情の少年。ヴィオが上ずった声で言う。
 『あれは私達の敵です。昨日から着けられてました。私に運転を代わって下さい』
 信号待ちで止まると、リアバンパーにわざとぶつけられた。
 降りたら何をされるか分からない。危険を感じた風間は、ギアをパーキングに入れるよう指事する。
 手を伸ばして後ろから運転席を倒し、次に、和季が腕を伸ばして琴乃の体を抱き寄せるように、膝の上に座らせる。上機嫌の琴乃をよそに、ヴィオが険しい表情で、素早く助手席から運転席に座った。シートベルトで体を固定する。アクセル踏み込み車体を横滑りさせると反対車線に飛び出す。逆走して対向車を避けながら交差点に侵入した。クラクションを鳴らされながらも、BMWは車体にキズ一つなく狭い路地に入り込む。
 背後からバイクが2台近づく。
 『あれもそうか』
 闇雲に疾走すると、いつの間にか東池袋に出ていた。
 ヴィオは迷わず首都高速に乗る。加速出来なければ車はバイクより不利だ。しかし、相手もスズキの1100cc。ポルシェを食うリッターバイク。最高速度は安全装置解除で300キロを超える。
 150キロ以上出しているのに、更に前輪を浮かせ加速して近づいてくる。
 琴乃は遠に気を失っていた。少年は真逆で目を見開き、ヴィオや風間の動きに目を見張る。それと、表情を変えずに成りゆきを見守る和季。 
 頭上にはヘリコプターが飛んでいた。
 『ダメです。彼らは正規の軍隊です。隠れ家もばれているでしょう。私達を何処かに連れて行くつもりです。なす術はありません』
 和季はひじ掛けを倒してトランクからキューケースを取り出す。
 偶然、琴乃が去年の冬から入れっぱなしのタイヤチェーンを発見する。
 風間がニヤりと笑った。
 BMWが減速する。左右のウィンドウを開いて、窓からは漁師の網よろしくチェーンが投げ出され、2人のバイク乗りは派手な火花を散らしながら後方に消えた。
 一段落だが、ヴィオの言う通り正規の軍隊ならば、確かに、
 ーなす術はない....、
 だろう。
 政治の方面でも圧力がかかっている。東京の空を非公認でヘリコプターが飛べる筈がない。
 敵は待つように上空に待機していた。
 風間が、
 ーつき合ってやれ....、
 と言う。酔狂な男だ。何の計算も無く、相手の手にのってやれと言う。
 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』
 独白した。捨て鉢なヤクザ者だ。喧嘩好きの江戸っ子でもある。頭に血が昇ってインテリの側面は影を潜めていた。
 ヴィオは眉間にシワをよせる。相手が誰であるか、薄々感ずいている。
 手の込んだ作戦を国外で実行出来る人物。
 KGBの生き残り。名は、イワン・リャードロウ養成機関最高責任者。かつての上官であり、彼女が最も尊敬した人物。BMWは誘導され芝浦の倉庫街の一角で止まった。ヘリコプターが粉塵をまき散らして着陸する。降りたのは軍服の、2メートル近い巨躯の初老の男。
 『久しぶりだな。今日は迎えに来た。しかし、キミが、マカーキとなれ合うとは、知らなかったよ』
 マカーキは、『猿』の意味。
 『自由経済を目指す新体制で、王政は無意味だ。祖国の為にも』
 『幼い子供ですよ』
 『10歳を過ぎれば立派な男子だ。いずれ、禍根となる』
 『私が阻止します』
 『キミとは闘いたくないな、ヴィオ。それに、私には勝てんぞ』
 『あなたは、養成所で私にこう言いました。決意した人間の行動は確率を飛び越える、と』
 イワンが顎に手をやった。瞬間、風間が、ヴィオに飛びついた。勘働きだった。アスファルトを砕く渇いた炸裂音と同時に、左脹ら脛に激痛を感じた。灼けたライフル弾が貫通したのだ。風間は呻きながら足をおさえてのたうち回る。肉を削がれた。激痛である。倉庫の窓からスナイパーは渋面で風間を睨みつけ次弾を装填する。ライフルの存在は驚異。なにしろ常に狙われている緊張感がある。
 スコープを覗くと驚愕した。
 若い男が、和季が、立ちはだかっている。どうするつもりなのか。
 再びヴィオ目掛けて引き金を弾く。
 弾丸の道を見極めていた。
 『鋭っ!』
 金属音が響く。
 高速で飛来する弾丸を弾いた。和季は、足下にあった散水栓、(埋め込み型の水道)の鋳物の蓋を外し、殺気から弾道を感じ取ると見事に受けた。
 唖然とした。
 弾丸を狙い受けた話など古今東西聞いた事がない。
 隙をついてヴィオは負傷した風間をBMWの影にかくまう。
 上着の内からダガ−と短銃を取り出した。弾は2発しか込めれないデリンジャー。
 巣鴨でまいたバンが到着する。
 黒服の男が3人降りた。いずれも特種訓練を受けた兵隊。
 和季はわき目もふらずに巨躯の男に近づく。感じ取った。強敵である。
 猛者だ。
 男、イワン・リャードロウ大佐は不敵に笑うと、軍服のベルトからダガーを抜いた。体格にあわせて幅も広く身も厚い。まるで山刀。
 キューケースから正宗を取り出して正眼に構える。
 和季は胸がときめいた。
 思い出していた。子供の頃、剣術界の至宝と呼ばれた大西某を、父が四国から招いて稽古をつけてくれた事がある。氏は禁じられた真剣での鍛練を繰り返し、体中に命取りになりかねない傷をつくりながら、剣の境地を目指していたのだ。
 対峙したイワンの身体が何倍にも見える。
 氏と同じだ。格取りの違い。決定的なのは、和季には、『人を殺した経験が無い』事。
 足が震えた。
 恐怖ではない。
 強敵と合いまみえる喜びの武者震い。
 一方背後では、ヴィオが3人を相手に華麗な、舞踏にも似た格闘術を披露していた。左手の銃で威嚇しながら、右手のダガ−で襲い掛かる。
 相手が近づくと身体を押し付け、日本の合気道にも似ていて、マーシャルアーツやシステマの原形の一つでもあるのだが、動きを封じてしまうのである。そして、柔軟なヴィオならではしなやかさで、身体をかがめると、ありえない角度から蹴りが入る。
 が、しかし、女の非力さかな決定打にはならず、訓練ならば採点の対象となり終了されるのだが、実戦では敵は退かず逆にしゃにむに挑んで来る。
 3対1。持久戦ならば負けるのは必至。
 幸いなのは、入り乱れて戦えば、スナイパーの狙撃を封じれる事。
 和季は靴を脱ぎ捨てると腰を落とし、弱法師、(よろぼし)のかまえで、倉庫の窓からイワンの巨躯の死角に入るように擦り足で動く。視線は互いの目を見ているが、意識するのはつま先だ。ボクサーはフットワークの中に初期動作を隠す。剣道の袴は、つま先の動きから相手に、初期動作を見抜かれないように。
 達人同士の戦闘は常に、『読み』である。
 互いに動けない。
 睨み合い。
 仕掛けたのはイワンの方。ダガーで斬り付けるふりをしながら、空いた左手で正宗を掴んだ。特殊グローブは刃物をつかみ取る。和季は躊躇わずに正宗から手を放す。ダガーが深々と肩を斬り付けた。同時に、抜き手、(目潰し)でイワンの目を狙う。
 禁じ手だ。
 が、実戦である。
 相打ちか。間一髪。抜き手はイワンの眉間に引っ掻き傷を作る。
 一方でダガーは和季の肉を抉って骨に達した。つもりだったが、破けた服の隙間からは、鈍く光る銀色の鎖かたびらが覗かせる。兵法である。卑怯も何も無い。落ちた正宗を拾うと下段真横に薙ぎ払う。足を切断するつもりが、バックステップでイワンがこれを回避する。
 再び弱法師のかまえから正眼に敵を見つめる。
 経験の差は問題無かった。
 実力は拮抗している。そして、和季は感情の起伏に乏しい。
 精密な機械の様に育てられた。否、作られた。父親によって、あまりにも歪な人間として、世に生み出されたのである。
 存在自体が、『凶器』。
 イワンは若者の力を悟ると捨て身に出た。余裕は無い。身体を盾にして巨躯に見合わない瞬発力で和季に組み付く。日本刀の間合いを無力化する為だ。
 手刀が頸動脈を狙う。
 が、永い歴史の中で剣術が、間合いに入られた場合を想定しなかっただろうか。
 和季は正宗を手の内で回転させると逆手に持ち、柄の先端でイワンの、のど仏を、一息に押し潰した。
 勝負は決まった。
 不敵な笑みを浮かべながら巨躯が崩れる。
 視線を倉庫に向ける。
 一部始終を見守っていたスナイパーがスコープを覗くと、一直線に、獲物を倒した後の猛獣さながらの目が、こちらを捕らえた。心臓が止まりそうになった。殺気を飛ばしたのだ。歴戦の兵にトリガーを弾かせなかったのは魔物の眼。冷えた湖面のように澄みきっている。
 悪魔に映った。
 己の敗北を知るとライフルを置いて胸の十字架を握りしめる。
 次に、和季は、イワンのダガーを拾うと、振り向きざまに投げ付けた。黒服の男の尻に突き刺さり、怯んだ所を間髪入れず、ヴィオの短銃が向けられた。
 銃声が鳴る。
 風間だ。トカレフを空に放った。少年が車から降りて両手の平をさらして歩く。投降のポーズ。父親は亡命者から王族に返り咲いたが、彼は生まれながらの正当な王位後継者。
 屈辱だろう。
 が、面持ちは涼しげで、一歩、一歩、しっかりと進む。
 ヴィオの近くまで寄ると母国語で、『もういい』と言った。
 子供とは思えない坦々とした口調で続ける。
 『自分はもう逃げない。国に戻って改革派と話し合ってみようと思う。これ以上誰かが自分の為に血を流すのを見ていられない。たとえ今を切り抜けても追っ手は続く。政治が安定する前に、2人とも生き残れない』
 取り押さえられながら、黒服の後をついてヘリコプターに乗り込む王子を、ヴィオはがく然と見送った。
 少年は自らの意思で混乱する国に戻る。
 最後に、
 『あなたは、私のたった1人の家臣、たった1人の国民でした....』
 と告げた。
 別れの挨拶であった。
 果たして数日後、深夜のニュースでは某国の王子が事故死した報道がなされ、ヴィオが姿を消した。


 『はぁ〜っ....』
 風間が深くため息をつく。あれから1ヶ月。窓の外を眺めた。この空の下に、想いの女はいるのだが、行方は東ヨーロッパの何処とも知れず。
 『鬱陶しいわね。オジさん』
 返答は無い。深刻みたいだ。
 琴乃は和季の方を見て両手を拡げてお手上げの格好をする。
 後のニュースで少年の素性と最期を知った。策略だ。それがまた風間を苦しめていた。あの時、もしも自分が、少年の提言を退けて、和季達が事を済ませるのを待っていさえすれば、あるいは、と。加えて若々しさは、繰り返し聞かせた、『忠臣蔵』や、『サムライ』のナルシズムに憑かれていたのだろう。
 風間と少年の車中のやりとりは細かく書かない。
 が、纏めると、『もう自分は、他人の都合に振り回されるのうんざりだ』だそうだ。一端の、『男』に成りつつあった背中を、風間は押してみたくなった。
 琴乃がテレビのチャンネルを変える。
 某国の改革派の指導者達が次々暗殺されたニュースが流れた。
 ドアをノックする音。向かいのラブホテルのフロント係が姿を見せる。中年女に、『ちょっと』と声を掛けられて風間が呼ばれた。
 エレベーターに乗り込んで最上階の部屋に通される。
 中には豊かなブロンドのヴィオ・ウェゲナーがいた。陰りをおびた目が風間を見つめる。風間は最初だらしなく顔を弛ませるが、少年の事が気にかかって、すぐに神妙になった。
 2人きりだ。
 風間は言葉につまった。
 すると、ヴィオが背中を向け、おもむろに上着を脱いだ。
 欧州人の透き通る白磁の背には、炎の中から舞い上がる鳳凰が描かれている。
 『そりゃ、いったい』
 『日本を去る前、掘り師に頼みました。鳳凰は、私の国では、近衛隊のシンボルマークです』
 近衛、(このえ)は、王室縁者の中から抜擢された盾の部隊である。
 正面に向き直る。三十路近い成熟した裸を惜し気も無く見せる。風間が息を飲む。ウエストは細くくびれてしなやかだし、張りのはる乳房はみごとにつり上がっていた。
 肢体は鳳凰の刺青と相まって神々しかった。
 ヴィオは語った。
 『あの方は最後に、私を、たった1人の家臣、たった1人の国民と、言いました。私は生きなければなりません。私が生きている限り、あの方の国は存続するのですから。ですが私は、怒りにまかせて、国元に戻って、多くの人を殺しました。汚れた女です。行く場所がありません。ここに置いてくれますか?』
 ニュースの事だ。
 風間は一息つくと、上着を脱いで、そっと肩にかけてやった。背伸びしながら。
 ベットに座らせ肩を抱き寄せる。
 『ずっと、いなよ』
 華奢な肩を震わせて、顔を隠して泣き崩れた。緊張の糸がほぐれたように。
 内乱はまだ続くが、その国はもはやヴィオの国ではない。
 諍いは瓦礫と灰しか生まない。
 ニュースでは崩れた家屋に散乱する日用品と路頭に迷う人々が映されていた。
 事務所の前の路地では、和季を探しに来て、風人車にとう留した南太郎が掃き掃除をしている。
 表に出た琴乃が煙草に火をつける。立ち上る煙り。指先で火を消す。
 去った。
 落ちた煙草の灰を太郎が掃き清める。
 ー灰....、
 鳳凰は炎で身を焼いて灰の中から生まれ変わると云う。
 そして女は男を変える度に生まれ変わる。風間とヴィオは互いに異国の地で、違った価値観で育ったが、この街でならば違和感の無い好い、『つがい』として生きて行くだろう。
 もうすぐ夜の帳が降りて、街の汚さも、人の汚れも、すべてを覆い隠してくれる。
 流れ者多きが故に歪な者達が居着ける街。
 不夜城に人が集ってゆく。
by end_of_eternity | 2008-06-15 03:07

我的人生日常


by end_of_eternity