気分が落ち込んでいる。
車の購入を見送ったからだ。
それがきっかけでゆっくりと考える時間が出来た。
今までと将来....、
短大を卒業したとたんに道しるべがなくなった。1年は実家の仕事とアルバイト。家業を継ぐにも父親は何も教えてくれない。母親は年金だけは払えという。祖母は優しいけど笑っているだけ。祖父は狂人で怒鳴るし怒るし亡くなった今でも大嫌いだ。
父親は自分がされたように金を支払わなかった。長男はそれがあたりまえなのか?。金が無い。バカらしくなって就職した。営業マン。父親もここで、『家業はいいから、まずは世の中を見て来い!』ぐらいの一言は欲しいが、口癖は、『知らない』と、『かまわない』。家族だが祖父は狂人だったし父親は馬鹿だと思っている。
人生の道しるべが無いまま放り出された。
『なんで働くの?』と思っていた。
オレの生きてる意味って何?。
無職の時、祖母に1000円を貰って夜中に吉野屋で牛丼を食べ、車の荷台にもぐってシュラフを閉じて眠ろうとした。河川敷の空き地で。
泣いていいのかどうかも分からない。
東京に行こう....、
学生とは違った興奮の日々。スクールで作曲を学びながらボロアパートで過ごしたのは一生の宝物になった。
31歳で祖母の体が弱くなったのを見て帰郷。派遣社員をしながら就職口を探した。元々、身体能力も高いし、頭も悪くはない。勉強は出来ないが。それに東京暮らしで気っ風が身に付いた。
田舎の不良など都会のワルたちに比べたら赤ん坊のようなもの。
職場ではいつも頼りにされた。正社員の話をもらうが待遇が悪すぎる。交代勤務の工場で月に40万弱の給料をもらい満足していた。
34歳で、『ぬるま湯に浸かりすぎた。辞めよう』と思っていた矢先、勤め先がメーカーとトラブル。仕事が激減。100人リストラの筆頭に名前があがったのは係長と仲が悪かったから。
今の会社で正社員に。一部上場企業。
それからはガムシャラに働いた。年下に怒鳴られようが、罵られようが、とにかく動いた。4ヶ月でフリーター時代の年収を稼いだ。その他にボーナス。金も入り、滞っていたものをきれいにした。
若い頃に出来なかった事をやってみた。
高級外車、都内で遊ぶ、美女とつき合ってみる....、
お金の力だ。
失礼だが、女たちは顕著で、顔は整っていたので20代はそれなりに過ごさせてもらったが、夜の蝶たち、キャバ嬢さんやホステスさん、最近だとマッサージ店、(普通のだよ)の女性スタッフまでが、勤め先と車の話に食いついてくる。30代、40代、は金だなと思った。20代の時に想像した30代のオレは、高級外車を乗り回して、高級腕時計をして、仕事をばりばりやって、週末は美女と過ごす。なんて、まあ、かなり近い状況を作ったよ。
40歳になってそれもまんねりしていた。
ふと考えたのは60歳を過ぎてからの事だ。
もらえる年金は?。退職して家業をやるのか?。家族はいないの?。
書いて、すっきりしたよ。
ヴィジョンは見えた。
家族が欲しいと思う。無理かもしれないけど独りは寂しい。2人。2人よりも、3人。3人よりも、多い方がいい。
7人家族と犬が2匹だった。
狂人はいらない。
でも、祖母の笑顔も、母親のくったくのない笑顔も好きだし、親父も大人しくしていれば少なくとも我慢は出来る。
だから、家族が増えるように頑張ってみようと思う。
考えがまとまった。
了。